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東京地方裁判所 平成5年(ワ)9942号 判決

原告

亡甲野太郎訴訟承継人

甲野芳子

右訴訟代理人弁護士

花沢剛男

被告

乙山三津代

丙川榮一

主文

一  被告乙山三津代は、原告に対し、金一三四二万九〇〇〇円及びうち金三三五万一〇〇〇円に対し昭和六〇年三月二日から、うち金三〇〇万円に対し平成三年三月一三日から、うち金三五三万円に対し昭和六〇年七月二日から、うち金三五四万八〇〇〇円に対し昭和六〇年八月九日から、いずれも支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告丙川榮一は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告と被告乙山三津代の間においては、原告に生じた費用の二分の一を被告乙山三津代の負担とし、その余は各自の負担とし、原告と被告丙川榮一との間においては、全部被告丙川榮一の負担とする。

五  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告乙山三津代は、原告に対し、金二五四一万円及びうち金七五〇万円につき昭和六〇年三月二日から、うち金三〇〇万円につき昭和六〇年六月七日から、うち金七〇〇万円につき昭和六〇年七月二日から、うち金七九一万円につき昭和六〇年八月九日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告丙川榮一は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、甲野太郎(平成九年一〇月二〇日死亡。以下「太郎」という。)の相続人である原告が、禁治産者太郎の後見人であった被告乙山三津代(以下「被告三津代」という。)に対し、同被告が、被後見人太郎の所有する土地を売却した行為と、太郎名義でマンション新築工事契約を締結した上、それを解約して違約金を支払った行為は、それぞれ後見人の善管注意義務に違反するものであるとして、不法行為又は債務不履行に基づき損害賠償を求めるとともに、被告丙川榮一(以下「被告丙川」という。)に対し、被告三津代が、太郎の後見人として、弁護士である被告丙川に弁護士報酬として支払った金員は法律上の原因がなく不当利得であるとして、不当に利得した報酬の返還を求めている事案である。

一  争いのない事実等

以下の事実は、当事者間に争いがないか、証拠上明らかに認められる。

1  当事者らの関係

(一) 原告及び被告三津代らの親族関係は、別紙一のとおりである。

(二) 太郎は、甲野利次(以下「利次」という。)と甲野フク(以下「フク」という。)の長男で、聾唖者であった。

太郎は、昭和五七年三月二四日、東京家庭裁判所八王子支部において禁治産宣告(同年四月八日確定)を受け、被告三津代が後見人になったが、平成二年一二月一八日、同被告に代わり、丁山二三男(以下「丁山」という。)が後見人となった(甲一)。丁山は、太郎の後見人として、平成五年六月二日に本件訴えを提起したが、その後、平成六年九月九日、同人に代わり、甲野博(以下「博」という。)と原告との間の子である甲野昌史(以下「昌史」という。)が太郎の後見人となった(甲二五)。

太郎は、平成九年一〇月二〇日死亡した。

(三) 原告は、太郎の弟である博の配偶者であり、昭和四二年九月五日、博と共に太郎と養子縁組をして、太郎の養子となったが(甲一)、博は昭和四八年七月三一日死亡した。したがって、太郎の相続人は原告だけである。

(四) 被告三津代は、利次とフクの長女であり、前記のとおり、昭和五七年四月八日から平成二年一二月一八日まで、太郎の後見人であった。

2  原告は、昭和五四年八月二二日、太郎所有の別紙二の第一物件目録記載一ないし三の建物(以下「本件各建物」という。)について、所有権移転登記を経由した(甲三一の五ないし七、乙四六ないし四八)。

3  申立人を太郎、申立人代理人を被告丙川、相手方を原告として、昭和五五年、太郎と原告との離縁を求める調停(東京家庭裁判所八王子支部昭和五五年(家イ)第一四〇五号離縁調停申立事件)が申し立てられたが、昭和五六年九月一七日、不成立となった。

そこで、原告を太郎、原告訴訟代理人を被告丙川、被告を原告として、同年、太郎と原告の離縁を求める訴え(東京地方裁判所八王子支部昭和五六年(タ)第一〇四号離縁請求事件)が提起された(乙一八)が、同支部において、昭和五七年九月二八日、太郎の被告丙川に対する訴訟委任行為は無効であると認定されて、訴え却下の判決がされた(甲一三)。

4  太郎の妹である戊田春子は、昭和五六年、太郎について、準禁治産宣告及び補佐人選任を求める申立て(東京家庭裁判所八王子支部昭和五六年(家)第二三四三、二三四四号準禁治産宣告、保佐人選任申立事件)を行い(乙二〇)、さらに、昭和五七年、禁治産宣告及び後見人選任を求める申立て(昭和五七年(家)第六四〇、六四一号禁治産宣告、後見人選任申立事件)をした(乙二一)。同支部において、昭和五七年三月二四日、太郎について禁治産宣告、被告三津代を後見人に選任する旨の審判がされた。

5  原告は、昭和五七年一〇月、太郎について、後見監督人の選任を求める申立て(東京家庭裁判所八王子支部昭和五七年(家)第二四六三号後見監督人選任申立事件)を行い、同支部において、昭和六〇年一〇月一一日、後見監督人として己田利男(以下「己田」という。)を選任する旨の審判がされた(甲一四)。

6  太郎の法定代理人後見人であった被告三津代は、被告丙川を訴訟代理人として、昭和五八年二月、太郎と原告との離縁を求める訴え(東京地方裁判所八王子支部(タ)第二五号離縁請求事件)を提起したが、右事件は、昭和六三年八月三〇日、休止満了により訴え取下となった(甲一五)。

7  被告三津代は、太郎の後見人として、昭和六〇年三月二日、有限会社北王企業(以下「北王企業」という。)に対し、別紙三の第二物件目録記載一の太郎所有の土地(以下「本件土地一」という。)を代金一五〇〇万円で売却し(甲五、乙三二)、北王企業は、同年三月一五日、中田清に対し、右土地を代金二二五〇万円で売却した(甲一六の二)。

また、被告三津代は、太郎の後見人として、同年七月二日、北王企業に対し、同目録記載三の太郎所有の土地(以下「本件土地三」という。)を代金一一五〇万円で売却し(甲七、乙三三)、北王企業は、同年七月一五日、小川豊作及び小川利子に対し、右土地を代金一八五〇万円で売却した(甲一六の二)。

さらに、被告三津代は、太郎の後見人として、同年八月九日、北王企業に対し、同目録記載二の太郎所有の土地(以下「本件土地二」といい、本件土地一ないし三をあわせて「本件各土地」という。)を代金一六〇〇万円で売却した(甲三、六、乙三四)。

8  被告三津代は、太郎の後見人として、昭和六〇年六月七日、永和建設株式会社(以下「永和建設」という。)との間で、マンション新築工事についての請負契約を締結したが(甲八、乙三〇。以下「本件マンション新築工事契約」という。)、平成三年三月一三日、永和建設に対し、違約金として三〇〇万円を支払い、同契約は履行されず、中止となった(甲一〇)。

9  被告三津代は、太郎の後見人として、昭和六〇年九月三〇日、被告丙川に対し、太郎関係事件の手数料、謝金の名目で、五〇〇万円を支払った。

10  己田は、昭和六〇年一一月一四日、太郎の後見人である被告三津代につきその解任を求める申立て(東京家庭裁判所八王子支部昭和六〇年(家)第三七〇八号後見人解任申立事件)を行い(甲一六の一)、被告丙川は、右事件の被告三津代の代理人となったが、右事件は、平成二年一二月一八日、被告三津代が、後記11のとおり、太郎の後見人を辞任したことにより、取下げで終了した。

なお、被告三津代は、後見人に選任されてから辞任するまで、財産目録を調製しなかった。

11  被告三津代は、被告丙川を代理人として、平成二年一一月二日、太郎の後見人辞任許可及び後見人選任を求める申立て(東京家庭裁判所八王子支部平成二年(家)第二五六二、二五六三号後見人辞任許可、後見人選任申立事件)を行い(乙二六)、同支部において、平成二年一二月一八日、後見人の辞任を許可し、太郎の後見人として丁山を選任する旨の審判がされた(甲一七の一)。

12  己田は、平成二年一二月一八日、太郎の後見監督人辞任許可を求める申立て(東京家庭裁判所八王子支部平成二年(家)第二九五八号後見監督人辞任申立事件)を行い、同支部において、平成二年一二月一八日、後見監督人の辞任を許可する旨の審判がされた(甲一七の二、乙二六)。なお、被告三津代は、被告丙川を代理人として、太郎の後見監督人である己田の解任を求める申立てをしていた。

13  丁山は、平成六年、太郎の後見人辞任許可及び後見人選任を求める申立て(東京家庭裁判所八王子支部平成六年(家)第一九八四、一九八五号後見人辞任許可、後見人選任申立事件)を行い、同支部において、平成六年九月五日、後見人の辞任を許可し、太郎の後見人として昌史を選任する旨の審判がされた(甲二五)。

二  争点

1  本件訴えの提起は訴権の濫用として無効かどうか。

(被告らの主張)

本件訴えの提起された当時の太郎の後見人である丁山は、原告や己田にそそのかされて後見人としての職責に背きその地位を濫用して本件訴えを提起したものであり、太郎の代理人というのは名ばかりであって、実質的には太郎と利害対立する原告の代理人として行動していたことからすると、本件訴えは訴権の濫用として無効である。

2  被告三津代が、太郎の後見人として、本件各土地を売却したことが、太郎本人に対する善管注意義務違反といえるかどうか。

(原告の主張)

(一) 太郎は、本件各土地を所有していたが、被告三津代は、前記一争いのない事実等7のとおり、昭和六〇年三月から八月にかけて、太郎の後見人として、本件各土地を、北王企業に対して売却したが、売却価格は、実勢価格に比べて極めて低廉である。

すなわち、本件土地一については、太郎は中田清に賃貸していたが、被告三津代は、北王企業に対し、昭和六〇年三月二日、一五〇〇万円で売却したが、北王企業は、同月一五日、同土地を右中田に対して二二五〇万円(3.3平方メートル当たり四四万七二八九円)で転売している。したがって、本件土地一の適正な取引価格は、二二五〇万円が相当であり、その差額は七五〇万円である。

本件土地二については、被告三津代は、北王企業に対し、同年八月九日、一六〇〇万円で売却したが、同土地の適正な取引価格は、同土地が本件土地一と同様の立地条件にあることから、本件土地一と同じく3.3平方メートル当たり四四万七二八九円とすると、二三九一万円が相当であり、その差額は七九一万円である。

本件土地三については、太郎は小川豊作に賃貸していたが、被告三津代は、北王企業に対し、同年七月二日、一一五〇万円で売却したが、北王企業は、同年七月一五日、同土地を右小川豊作及び小川利子に対して、一八五〇万円で転売している。したがって、本件土地三の適正な取引価格は、一八五〇万円が相当であり、その差額は七〇〇万円である。

右のとおり、本件各土地の適正な取引価格は総額六四九一万円であるにもかかわらず、実際は、総額四二五〇万円で北王企業に売却したのであって、右売却価格は極めて低廉である。

なお、鑑定によると、本件土地一の価格は二〇三九万円、同土地二の価格は二一七一万円、同土地三の価格は一六七〇万円であり、総額五八八一万円とされているが、本件各土地の売却価格総額四二五〇万円は、右鑑定価格総額に比べても約27.7パーセント安くなっており、鑑定価格によっても、本件各土地の売却価格は低廉にすぎるものである。

被告三津代は、本件各土地の実勢価格を知っており、又は当然知りえたものである。

(二) 昭和六〇年当時、土地価格は上昇傾向にあり、本件各土地は、一年間で少なくとも三〇パーセント以上の地価上昇が見込まれていたのであり、売却価格のみならず売却時期も適切ではなかった。

(三) 本件土地一及び三については、右(一)のとおり、借地人がおり、被告三津代は、直接借地人に売却することができたにもかかわらず、あえて、北王企業という第三者に安く売却し、北王企業は、その取得価格に上乗せした金額で、ほとんど時間をおかずに右各土地の借地人に対して売却し、北王企業に利鞘を取得させた。

(四) 本件土地二については、契約書上、北王企業に売却する前の昭和六〇年七月九日に、松栄飼料有限会社に売却されており、二重売買の形になっているなどの経緯が不明朗である。また、同土地の所有権移転登記手続については、後見監督人が選任されているため、後見監督人の同意がなければ右登記手続を行うことができなかったところ、被告三津代は、買受人である北王企業と共謀の上、馴れ合い訴訟を買受人に提起させ、全く防禦活動を行わず、自白したものとみなされて敗訴判決を受け、同判決の効力によって所有権移転登記を行わさせた。

(五) 昭和六〇年当時、太郎は本件各土地から地代収入を得るなどしており、十分生活が可能であった。

(六) 被告三津代は、後見監督人選任申立事件の審理が進展し、近い将来、後見監督人が選任されることが確実な状況にあったことから、後見監督人が選任されれば太郎の財産を自由に処分することができなくなると考えて、後見監督人が選任される直前に本件各土地を売却した。

(七) 松永鎭雄(以下「松永」という。)はいわゆるブローカーであり、被告三津代は、このような松永に対して、いくらでもよい、すなわち安くても構わないとして本件各土地の処分を委ねていた。また、被告三津代は、松永が、太郎の犠牲の下に本件各土地を売却し売却先等から手数料やリベート等を取得して自らの利益を図ろうとしていたことを、同人との長年のつきあいから知っていた。

(八) 後見人は、財産目録の調製を終了するまでは、急迫の必要がある行為しか行うことができないところ(民法八五四条)、被告三津代は、昭和五七年四月八日、太郎の後見人に選任され、その後、財産目録の調製を行わず、かつ、急迫の必要もないにもかかわらず、本件各土地を売却した。

(九) したがって、被告三津代が、太郎の後見人として、本件各土地を売却したことは、善管注意義務(民法八六九条、六四四条)に違反し、不法行為又は債務不履行を構成し、これにより、太郎(その相続人原告)は、右(一)で述べた適正な取引価格の総額から実際の売却価格の総額の差額である二二四一万円の損害を受けた。

(被告三津代の主張)

本件各土地の売却価格は特に低廉にすぎるというものではない。また、不動産取引は常に実勢価格によってされるとは限らないので、実勢価格と売却価格の差額を損害ということはできない。また、地主が借地権者と直接取引をしなければならない理由はなく、むしろ、無用の出費、紛争を避けるために実質的に不動産業者を介して借地権者に売却することは賢明な方法である。

被告三津代が、財産目録を調製しなかったのは、原告が、太郎所有の不動産を横領し、太郎の有価証券を隠匿するなどしており、また、後見監督人である己田が原告と共同して財産目録の調製を妨害し、己田の協力も得られなかったため、財産目録の調製ができない状態にあったからである。このような状況において、本件各土地を売却したのは、太郎の生活、事件処理に必要な費用の調達等緊急の金銭収入を必要としたからである。

3  被告三津代が、太郎の後見人として、本件マンション新築工事契約を締結した上、その後、右契約を中止して違約金を支払ったことが、太郎本人に対する善管注意義務違反といえるかどうか。

(原告の主張)

(一) 前記一争いのない事実等8のとおり、被告三津代は、太郎の後見人として、昭和六〇年六月七日、永和建設との間で、本件マンション新築工事契約を締結したが、これに伴い、被告三津代は、太郎所有の一一〇〇万円の預金証書を永和建設に無利息で差し入れ、これを担保に永和建設から、五〇〇万円を無利息で借り入れたが、実質的には松永が借り入れて費消した。

しかし、後見人は、財産目録調製を終了するまでは、急迫の必要がある行為しか行うことができないにもかかわらず、右のように請負契約を締結し、原告の預金証書を差し入れた上で借り入れを行った。また、このような行為は太郎と後見人である被告三津代との利害が相反する行為である。

さらに、本件マンション新築工事契約を締結したのは、太郎のために建物を建築しようとしたものではなく、太郎の財産を不当に流用して専ら松永の利益を図るためであった。また、松永には借入れた金員を返済する意思も能力もなかった。

また、太郎は借地人等からの賃料収入により十分生活が可能であり、太郎の賃料収入を図るためにマンションを建設する必要はなかった。実際にも、本件マンション新築工事契約を締結した後、被告三津代はマンション建設について何ら具体的な実行をしていなかった。

その後、被告三津代は、平成二年一二月一八日に後見人を辞任したにもかかわらず、後任の後見人である丁山に何ら告げぬままに、永和建設との間で預金証書の取り戻し等の示談交渉を行い、平成三年三月一三日、永和建設に対し違約金として三〇〇万円を支払う旨合意した。

(二) また、被告三津代及びその夫である乙山宗一(以下「宗一」という。)は、松永と長年親しくつきあっており、被告三津代は、松永がいわゆるブローカーであり、事件屋であることを知りながら、松永に、太郎の財産に関する代理権を与えて任せっぱなしにしており、必要な監督を怠ったことにより、松永が本件マンション新築工事契約を締結し、違約金を支払ったものである。

(三) したがって、被告三津代が、永和建設との間で太郎の後見人として本件マンション新築工事契約を締結し、後見人を辞任した後、永和建設に対し、違約金三〇〇万円を支払う旨合意し、三〇〇万円を支払ったことは、善管注意義務に違反し、不法行為又は債務不履行にあたる。

(被告三津代の主張)

本件マンション新築工事契約は、被告三津代が太郎の生活、特に老後の生活を考え、これを保障するための緊急の必要から締結したものであるから、違法性がない。

五〇〇万円については、被告三津代が太郎のために必要な資金として借り入れたものであり、また、本件マンション新築工事契約を断念して違約金三〇〇万円を支払わざるをえなかったのは、右契約の履行につき後見監督人である己田の協力が得られなかったからである。

4  被告丙川に対する不当利得返還請求権について不起訴の合意があったかどうか。

(被告丙川の主張)

太郎の後見人である被告三津代と被告丙川との間では、報酬問題について互いに訴え提起するようなことは考えておらず、むしろ、訴えを提起しない旨の合意、すなわち不起訴の黙示の合意がされていた。

5  被告三津代が太郎の後見人として被告丙川に対し弁護士報酬として支払った金員が、法律上の原因を欠き、被告丙川の不当利得になるかどうか。

(原告の主張)

(一) 被告三津代は、前記一争いのない事実等9のとおり、太郎の後見人として、被告丙川に対し、弁護士報酬として五〇〇万円を支払ったが、当時、被告三津代は、財産目録の調製を終わっていなかったのであるから、急迫の必要がある場合を除いて、太郎のために代理行為を行うことはできず、無権代理行為となるところ(民法八五四条本文)、右報酬の支払は急迫の必要がなく、無権代理行為である。

そして、被告丙川は、太郎の後見人である被告三津代から事件を受任していたのであり、被告三津代が財産目録を調製していなかったことを当然知っていたはずであり、悪意であるから、被告丙川に対して無権代理であることを対抗することができる(同条ただし書)。

(二) 被告三津代は、後見人としての善管注意義務に違反し、弁護士報酬規程にも違反した不相当な報酬を支払い、これにより太郎に損失をもたらし、かつ、被告丙川の利益を図ったものであるから、報酬支払行為は代理権の濫用である。そして、相手方である被告丙川は、被告三津代の右代理権の濫用について悪意又は有過失であったので、民法九三条ただし書の類推適用により、右報酬の支払は無効である。

(三) 被告丙川は、太郎の後見人であった被告三津代の代理人、すなわち太郎の代理人であったといえるのであり、太郎の負担において、弁護士報酬規程に違背する過大な弁護士報酬を受領することは、実質的に、被後見人である太郎と利益が相反する行為であり、民法八六〇条により無効である。

(四) 被告丙川のような経験豊富な弁護士が、被告三津代と共同して太郎の犠牲のもとにその利を図ることは著しく社会正義を逸脱するものであり、反社会性が高い。よって、報酬支払行為は公序良俗に違反し民法九〇条により無効である。

(五) 五〇〇万円は甲野太郎関連事件について支払われたとされているが、甲野太郎関連事件の内容は全く不明かつ空疎であり、甲野太郎関連事件というのは単なる領収上の名目でしかなく、法律上の原因を欠くものである。

被告丙川は、甲野太郎関連事件の内容について、後記(被告丙川の主張)(一)(1)ないし(6)を主張するが、(1)については、五〇〇万円を受領した後、昭和六一年二月下旬まで訴状の起案をせず、訴訟委任状の日付も同月二四日となっていることからすると、五〇〇万円の授受と(1)とは関係がない。また、(2)ないし(4)について、被告丙川は何ら事務処理を行っていない。(5)については、後見人解任、後見監督人解任等の事件が発生した場合というが、五〇〇万円の授受があった当時は、後見監督人選任申立事件が係属していただけであり、五〇〇万円の授受と(5)は関係がない。

また、そもそも、原告に本件各建物等の所有名義が移転しているのは、原告がフクから節税のために所有名義を移転しておくように言われていたので、それに従っただけであり、それは他の親族にも相談して行っているし、右建物の賃料収入も太郎の財産の一部として管理しており、原告には横領しようとする意図は全くなかった。したがって、原告に対し所有権移転登記抹消登記を求める訴えを提起する必要はなかったので、己田も、訴えを提起したいとの被告丙川の申出に対し、その必要はないと断ったのである。

(六) 右のとおり、被告丙川への弁護士報酬の支払行為は、法律上の原因がなく無効であり、被告丙川は、無効であることを知っていたのであるから、悪意の受益者として、受領した五〇〇万円について返還義務を負う。

(被告丙川の主張)

(一) 被告三津代は、被告丙川に対し、甲野太郎関連事件について報酬を支払ったものであるが、甲野太郎関連事件の内容は次のとおりである。なお、甲野太郎関連事件の処理は、次の(1)の訴えの提起につき後見監督人己田が何ら正当な理由なく同意を拒否するなどして、妨害したため遂行することができなかった。

(1) 本件各建物に関する原告を相手方とする所有権移転登記抹消登記手続請求事件

(2) 府中市美好町〈番地略〉所在の各建物(甲第一六号証の五の建物一覧表のうち、8ないし10)に関する原告を相手方とする太郎の所有権確認、所有権保存登記抹消登記請求事件

(3) 右(1)及び(2)の建物に関する不動産仮処分(処分禁止)申立事件

(4) 原告に対する不動産横領被疑事件について告訴をする件

(5) その他、例えば後見人解任、後見監督人解任等の事件が発生した場合は、甲野太郎関連事件としてサービス処理すること

(6) 日当交通費等

(二) 被告三津代が、太郎の後見人として、被告丙川を訴訟代理人として選任し、同人に対して報酬を五〇〇万円支払ったのは、原告が太郎の所有する不動産を横領しているので、被告三津代から太郎の不動産を取り戻すため緊急処理を要したからである。

6  被告三津代に対する損害賠償請求権は時効により消滅しているかどうか。

(被告三津代の主張)

被告三津代に対する損害賠償請求権は不法行為に基づくものであり、同請求権の発生した昭和六〇年八月九日から昭和六三年八月八日までの三年間の経過で時効により消滅したので、これを援用する。

(原告の主張)

(一) 被告三津代は、本件訴え提起後二年半を経過し、その間根拠ある反論を主張せず、証人調べに入る段階に至って消滅時効の主張をしたものであり、右消滅時効の主張は、時機に遅れた攻撃防御方法として却下されるべきである。

(二) 民法七二四条の三年間の消滅時効の起算点は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時であるところ、被害者である太郎は禁治産者であるから損害及び加害者を知ることはできず、法定代理人について丁山は後見人に就任した平成二年一二月一八日以降に損害及び加害者を知ったのであり、同日以降が起算点となることは明らかであり、消滅時効にかかっていない。

(三) 被告三津代に対する損害賠償請求権は、後見に関し生じた債権にあたるので、民法八七五条一項、八三二条により、被告三津代が後見人を辞任し、丁山が後見人に選任された時点から五年間は時効により消滅しないのであるから、消滅時効にかかっていない。

7  被告丙川に対する不当利得返還請求権は時効により消滅しているかどうか。

(被告丙川の主張)

弁護士の報酬債権は民法一七二条により事件終了の時より二年間という短期消滅時効にかかるが、弁護士に対する依頼者の報酬返還請求権もこれと権衡を保つ必要があることから、同じく二年の短期消滅時効にかかると解すべきであり、本件は後見人である被告三津代が辞任して後見人に丁山が選任された平成二年一二月一八日に太郎関係の全事件の処理が終了したとみなし、その時点から平成四年一二月一七日までの二年間の経過で時効により消滅したので、これを援用する。

(原告の主張)

(一) 被告丙川は、本件訴えを提起後二年半を経過し、その間根拠ある反論を主張せず、証人調べに入る段階に至って消滅時効の主張をしたものであり、右消滅時効の主張は、時機に遅れた攻撃防御方法として却下されるべきである。

(二) 民法一七二条は、依頼人の弁護士に対する債権については適用がない。

(三) 仮に、民法一七二条が依頼人の弁護士に対する債権について適用があるとしても、同条は事件の終了の時を時効の起算点としており、後見人であった被告三津代及び同人の代理人であった被告丙川は、後任の後見人である丁山に対し、後見事務管理の計算を行い、報告をすべき義務があり(民法八七〇条)、これをまだ終了していないので、事件が終了したとはいえず、消滅時効は成立していない。

(四) 民法一七二条の「職務に関する債権」の職務は弁護士として適法かつ正当なものでならなければならないところ、被告丙川は何ら事件処理を行っていないし、少なくとも五〇〇万円に値するに足りる弁護士活動は何ら行っていないので、職務に関するものとは認められず、本件では同条の適用はない。

(五) 後見人と被後見人との間において後見に関して生じた債権は、民法八七五条一項、八三二条により、五年間の消滅時効にかかるところ、被告丙川は被告三津代の代理人であり、太郎とは後見人と被後見人という立場にあるというべきなので、被告丙川に対する不当利得返還請求権は、被告三津代が後見人を辞任し、丁山が後見人に選任された時点から五年間の消滅時効にかかることになり、消滅時効は成立していない。

(六) 五〇〇万円の授受が反社会性、密室性が高いこと、被告丙川は後見監督人の選任を妨害しておきながら、後見監督人が選任される前に駆け込み的に五〇〇万円もの金員を受領していること、太郎の後見人である被告三津代及びその代理人である被告丙川が後見の事務管理報告をしなかったため、被告丙川に対する五〇〇万円の支払の事実が判明するのが遅れたことなどの事実からすると、被告丙川の消滅時効の援用は権利濫用にあたる。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

被告らは、本件訴えは訴権の濫用として無効である旨主張するが、本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。

二  争点2について

1  前記第二、一争いのない事実等、証拠(甲二ないし八、一〇、一六の二、一八、一九の一ないし一四、二一、二三、二四、四〇の一及び二、四一の一、四二、四四、四五、乙三〇、三二ないし三四、証人乙山宗一(以下「証人乙山」という。)、証人甲野芳子(現在、本訴請求の原告である。)、被告乙山三津代本人、被告丙川榮一本人、鑑定人小谷芳正の鑑定の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告三津代及び博らの父である利次は、昭和一八年一二月二〇日、死亡した。

(二) 原告は、昭和四〇年二月、博と結婚し、同人との間に、長男昌史らの子がある。原告は、博と結婚後、フク及び太郎と同居し、同人らの面倒を見てきた。

その後、原告及び博は、昭和四二年九月五日、太郎と養子縁組をした。

(三) フクは、昭和四五年一月二二日、死亡し、博は、昭和四八年七月三一日、死亡した。原告は、博の死亡後は、太郎、昌史らと同居し、同人らの面倒を見てきた。

しかし、太郎は、昭和五〇年ころから、テレビに映っている女性にキスをしたり、短刀を振りかざすなど、時折異常な行動をとるようになったため、昭和五三年、原告は己田、丁山及び宗一らに相談し、原告の母が原告宅に同居して太郎の様子を見ていたところ、太郎に異常な行動が確認された。そこで、太郎は、昭和五三年一二月、被告三津代の家に引き取られたが、しばらくして原告宅に戻ってきた。

そこで、原告宅において、昭和五四年二月下旬ころ、原告、丁山、己田及び宗一らが集まり協議し、太郎は、原告と別居し、原告宅と同じ敷地内にある建物の一室に住まわせて、太郎の面倒は原告の義理の姉である庚崎シヅ子が見ることとなった。また、原告は、太郎所有の不動産の賃料収入から、毎月五万円を太郎の生活費として庚崎シヅ子らに支払うこととなった。

なお、平成八年四月一七日からは、原告が太郎の食事等の面倒を見ていた。

(四) 被告三津代は、太郎の後見人に選任されたが、それは松永らに勧められていたからであり、被告三津代自身は、名前だけの後見人という認識しかなく、財産目録を調製する義務があることも十分理解しておらず、財産目録の調製を全くしなかった。

(五) 宗一及び被告三津代は、その売却代金でアパートを建ててその賃料で太郎の生活費等を得るため、太郎の不動産を売却しようと考え、知り合いの松永に本件各土地の売却を依頼した。その際、売却代金や買受人について、宗一は何ら指定せず、松永に一任した。

その後、前記第二、一争いのない事実等7のとおり、本件各土地を北王企業に売却したが、松永は、本件各土地の買受人を宗一宅に連れてきて、その都度、宗一と被告三津代が立会った上で、売買契約を締結したものであり、売買代金等については低廉であると思っていたが、松永の言うことに対して特に異議を述べずに、松永の意見に従った。

(六) 宗一及び被告三津代は、宗一の父である元次郎が昭和四八年二月二七日に死亡した際、相続問題などについて松永に対して様々な依頼をしたことから、同人と付き合うようになった。松永は、本件各土地を売却した当時、松永飼料有限会社の代表取締役であったが、実際には、いわゆるブローカー又は事件屋のような仕事をしていて、不動産会社などに出入りしていたものであり、宗一及び被告三津代はそのことを知っていた。

(七) 宗一は、かつて、太郎名義の土地を借地人に売却するに際し、意見を求められて同意したこともあり、自らも、自己の所有する土地を借地人に売却したこともあった。

(八) 北王企業への売却価格は、前記第二、一争いのない事実等7のとおり、本件土地一は一五〇〇万円、同土地二は一六〇〇万円、同土地三は一一五〇万円であるが、鑑定の結果によると、本件各土地の売却当時の価格は、同土地一は二〇三九万円、同土地二は二一七二万円、同土地三は一六七〇万円であり、鑑定評価価格と比べて約27.7パーセント低い価格で売却されている。

(九) 本件土地一及び三について、北王企業は、前記第二、一争いのない事実等7のとおり、右各土地の借地人に対して転売しており、しかも、右各土地について、北王企業が買い取ってからわずか一三日後に転売している。登記については、太郎と北王企業との間の売買については省略されており、登記簿上は、太郎から借地人に対して直接売却されたようになっている。

(一〇) 本件土地については、契約書上は、北王企業に売却する一か月前である昭和六〇年七月九日、松永が代表取締役である松永飼料有限会社にも売却されており、さらに同年一一月二九日、同会社から有限会社東海ハウジングに対し売却されており、被告三津代は、昭和六一年三月二八日、同土地二の借地権を右東海ハウジングが譲り受けること及び東海ハウジングが第三者に借地権を譲渡することを承諾した。また、登記簿上は、昭和六〇年三月一日売買予約を原因として同年五月二五日に太郎から松永飼料有限会社に所有権移転請求権仮登記がされており、さらに同仮登記は、昭和六一年三月二八日売買を原因として同月二九日に東海ハウジングに、昭和六二年一月二〇日売買を原因として同月二二日に馬場孝に移転登記がされているが、昭和六二年六月一七日、太郎の後見人である被告三津代は、北王企業に対し、本件土地二について、所有権移転登記手続をするように命ずる旨の判決が言い渡されたので、この判決に基づいて、北王企業は所有権移転登記を行い、その後、前記仮登記は抹消された。さらに、同土地二については、昭和六二年七月一五日売買を原因として同月一六日に北王企業から株式会社カネシロに所有権移転登記がされている。

なお、右判決は、当初、被告三津代が、北王企業の被告三津代に対する請求を認諾しようとしたところ、後見監督人の同意を得られなかったことから、被告三津代が請求原因についてすべて認めて、認容判決が言い渡されたものであり、被告三津代は、右訴訟についても、松永に実質的に全て任せていた。

(一一) 被告三津代は、前記第二、一争いのない事実等8のとおり、太郎の後見人として、昭和六〇年六月七日、永和建設との間で本件マンション新築工事契約を締結したが、その交渉や実現のための段取り等は、宗一が松永に全て任せていたが、松永は、契約締結後、永和建設に何ら具体的な話をすることなく放置し、結局アパートは建てられていない。

2  以上の事実を総合すると、被告三津代は太郎の後見人に就任するにあたり後見人の義務についてほとんど注意を払っていなかったこと、本件各土地の売却については売買代金や買受人を何ら指示せずに、ただ漫然と夫である宗一や知り合いの松永に任せており、契約締結段階に至っても、売買代金についてほとんど注意を払わずに松永の言うがままにしていたこと、松永がブローカーのような仕事をしていたことについて、被告三津代及び宗一は長年の付き合いから認識していたこと、宗一はかつて借地人に直接土地を売却したことがあったにもかかわらず、本件各土地についてはそのような方法をとらなかったこと、本件各土地の売却価格は鑑定による時価評価額と比べて約27.7パーセントも低い価格であり、被告三津代も右売却価格が低廉であることは認識していたこと、財産目録を調整していなかった(後記4のとおり、このことにつき合理的理由はなかった。)にもかかわらず本件各土地を売却していること、本件土地二については、二重売買をしている上、さらに、北王企業から被告三津代に対して提起された所有権移転登記手続の裁判において、後見監督人が選任されているにもかかわらず、被告三津代だけで請求原因事実を認めて敗訴判決を受け、判決に基づき登記名義が北王企業に移転してしまっていることがそれぞれ認められる。

被告三津代は、太郎の後見人として、被後見人である太郎の財産を善管注意義務をもって管理処分をする義務を負い、その財産を他に売却する場合には、これを適正妥当な価格で売却すべきものであるところ、右の各事情からすると、被告三津代は、信頼するに足りない松永の言うがままに、低廉な価格であることを認識しながら、鑑定評価額を27.7パーセントも下回る低廉な価格で本件各土地を売却したものであって、被告三津代が本件各土地を廉価で売却したことは、被後見人太郎に対して負っている善管注意義務に違反し、被告三津代は不法行為責任を負うということができる。

3  なお、被告三津代は、本件各土地を売却したのは、太郎の生活費等を得るための緊急の金銭収入を必要としたからであると主張し、証人乙山は、本件各土地の売却については、同証人が、太郎の財産が全部原告の名義に移転してしまう前に、太郎の土地を処分しその売却代金でアパートを建ててその賃料で太郎が暮らしていけるようにと考えて行ったものであると供述する。

しかし、被告三津代の右主張や証人乙山の右供述の内容が事実であるとしても、被告三津代が本件各土地を右のように不当に廉価で売却することを正当化する理由となるものではない。しかも、証人乙山は、太郎の財産について原告が横領するおそれがある旨を述べるが、前記第二、一の争いのない事実等2及び証拠(甲二一、三一の一ないし八、三二、四二、四五、乙一三の一ないし三、四六ないし四八、証人甲野芳子(現在、本訴請求の原告である。))によれば、原告が太郎名義の本件各建物を自己の名義に変更したのは、フクから不動産の評価額が下がったら相続税対策のために原告名義に変更するように指示されていたので、そのフクの指示に従っただけで、原告としては必要があればいつでも太郎名義に戻すつもりであったことが認められ、原告が本件各建物を横領したと認めることはできない上、前記第二、一争いのない事実等のとおり、本件各土地の売却時には、被告三津代は太郎の後見人に選任されており、太郎の財産の管理処分については被告三津代がその権限を有していたのであるから、本件各土地の名義が原告に移転することを危惧する必要もなかったはずである。さらに、前記1(三)で認定したとおり、原告は、太郎の生活費として毎月五万円を支払っていたのであるから、太郎の不動産を廉価で売却しなければならないという事情も認め難い。

したがって、被告三津代が本件各土地を売却したことは後見人の事務処理上正当である旨の主張は採用することができない。

4  また、被告三津代は、財産目録を調整しなかった理由について、原告が太郎の不動産を横領したり、株券を隠匿するなどしたり、後見監督人である己田が財産目録の調整を妨害して協力しなかったからであると主張している。

しかし、不動産横領については、右で認定したとおり横領の事実は認められず、株券の隠匿についてもこれを認めるに足りる証拠はない。また、己田が財産目録の調整を妨害し協力しなかったという点についても、これを認めるに足りる証拠がないのみならず、被告三津代について、昭和五七年三月二四日にすでに後見人に選任する旨の審判がされており(前記第二、一争いのない事実等4)、また、証拠(甲一)によれば、同年四月八日に右審判が確定し後見人に就任しているのであるから、財産目録の調整は一か月以内にしなければならない(民法八五三条一項)ことからすると、それから三年以上経過した昭和六〇年一〇月一一日に後見監督人に選任された己田が(前記第二、一争いのない事実等5)、財産目録の調整を妨害したり、これに協力しなかったりする余地はないことは明らかである。

よって、財産目録を調整していないことに正当な理由があるとの被告三津代の前記主張は採用することができない。

5  そこで、被告三津代の善管注意義務違反により太郎の被った損害について検討するに、鑑定の結果によれば、本件土地一の売却当時の評価額は二〇三九万円、本件土地二は二一七二万円、本件土地三は一六七〇万円であるところ、右認定の諸事情のほか、鑑定による時価評価額は、客観的な評価額ではあるが、後見人が不動産を売却する場合には、その評価額を多少下回ったからといって直ちに適正妥当な価格ではないということまではできないし、また、後見人が不動産を売却するのに通常要する費用、例えば本件においては松永を介して本件各土地を売却しているが、松永ではなく正規に仲介業者に依頼をして本件各土地を売却する場合の仲介手数料についてはこれを控除するのが相当であることに照らして考えると、太郎の被った損害については、右鑑定評価額から一割を減じた額とするのが相当である。

そうすると、本件土地一の鑑定評価額の九割は一八三五万一〇〇〇円であり、実際の売却価格は一五〇〇万円であったことからすると、本件土地一については三三五万一〇〇〇円が損害額となる。同じように、同土地二の鑑定評価額の九割は一九五四万八〇〇〇円であり、実際の売却価格は一六〇〇万円であったことからすると、同土地二については三五四万八〇〇〇円が損害額となる。同土地三の鑑定評価額の九割は一五〇三万円であり、実際の売却価格は一一五〇万円であったことからすると、同土地三については三五三万円が損害額となる。

したがって、被告三津代が本件各土地を低廉に売却したという善管注意義務違反により太郎の被った損害は合計一〇四二万九〇〇〇円であるというべきである。

三  争点3について

1  前記第二、一2の争いのない事実等、証拠(甲八、一〇、二〇、二一、三四ないし四一の三、四四、乙二七ないし三一、証人乙山、証人甲野芳子(現在、本訴請求の原告である。)、被告三津代本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件マンション新築工事契約の相手方である永和建設の代表取締役である永瀬孝志は、松永の紹介で一度、被告三津代の家に行ったが、その帰り道においてマンションを建てる予定とされている土地を見たが、右永瀬が、マンションの建設予定地を見たのはその一度だけであった。

その後、右永瀬は、松永に依頼されて、昭和六〇年二月五日、見積書を作成した。

(二) 太郎の後見人である被告三津代は、昭和六〇年六月七日、永和建設との間で、本件マンション新築工事契約を締結したが、請負代金は五三八五万二五八〇円とされ、契約成立時に一一〇〇万円支払うこととされた。被告三津代は、本件マンション新築工事契約については、松永に全て任せていたものであり、契約書についても松永に言われるがままに署名しただけであった。

右契約締結の際、松永は、建設資金として太郎所有のときわ相互銀行発行の一一〇〇万円の定期預金証書を永和建設に渡し、さらに、右預金証書を担保に、太郎後見人の被告三津代名義で五〇〇万円を永和建設から借り入れたが、実際にはこの五〇〇万円は松永が全て費消した。

(三) その後、松永や被告三津代から、永和建設に対してマンション建設の話を持ちかけることは全くなく、新たに後見人となった丁山から本件マンション新築工事契約の処理につき異議が出されたので、平成三年三月一三日、松永が、永和建設を訪問して右預金証書を現金にし、松永が二〇〇万円の企画料を取得した上、永和建設に対して三〇〇万円を違約金として支払った。

2  以上の事実に加え、前記第二、一争いのない事実等及び前記二で認定した事実を総合すると、被告三津代は、松永がブローカーであることを知りながら、本件マンション新築工事契約について、漫然と全て松永に任せていたこと、しかも、被告三津代は契約当時、財産目録を調製せず、このことにつき合理的な理由はなかったこと、契約締結後、被告三津代や松永が永和建設に対して実際に工事を進めるように依頼したことは全くなく、太郎のためにマンションを緊急に建築する必要性は乏しかったこと、最終的に、被告三津代が後見人を辞任した後、松永が永和建設に対して違約金を三〇〇万円を支払うことにより本件マンション新築工事契約は中止になっていることが認められる。

被告三津代は、太郎の後見人として、被後見人である太郎の財産を善管注意義務をもって管理処分する義務を負い、被後見人名義で契約を締結する場合には、その契約が適正円滑に履行され被後見人の利益に沿うよう注意すべきものであるところ、右認定の諸事情からすると、被告三津代は漫然と本件マンション新築工事契約の締結及び履行について松永に任せ、そのため松永が五〇〇万円の金融の利益ないし二〇〇万円の企画料名義の利益を得たほか、最終的に松永が右契約について三〇〇万円の違約金を永和建設に支払うことで右契約を中止するという事態になり、太郎に右違約金三〇〇万円の損害を被らせたということができ、被告三津代の右行為は被後見人太郎に対して負っている善管注意義務に違反し、被告三津代は太郎の被った右損害三〇〇万円について不法行為責任を負うということができる。

3  なお、被告三津代は、マンション工事が実現しなかった理由について後見監督人である己田の協力が得られなかったからであると主張し、証人乙山もそれに沿う供述をするが、己田自身、本件マンション新築工事については全く知らなかったという己田の陳述書(甲四一の一)中の記載及び右認定の諸事情に照らし、証人乙山の右供述は信用することができず、被告三津代の前記主張は採用することができない。

四  争点6について

被告三津代は、太郎の被告三津代に対する損害賠償請求権は、不法行為に基づくものであるから、三年間の経過で時効により消滅したと主張する。

しかし、本件損害賠償請求権は、禁治産者である被後見人の後見人に対する不法行為に基づく賠償請求権であるから、その消滅時効(民法七二四条)の三年間の期間の起算点は、禁治産者の後見人(加害者)が交代して新たな後見人(法定代理人)等が損害及び加害者を知った時と解すべきである。なぜなら、禁治産者である被後見人が、後見人(加害者)の後見に服している限り、当該後見人に対し不法行為による損害賠償債権を行使することが不可能であり、後見人の交代があった場合の新たな後見人や禁治産宣告が取り消された場合の本人が損害等を知ってはじめて時効期間が進行するからである。

これを本件についてみてみるに、前記第二、一争いのない事実等11によれば、被告三津代が太郎の後見人を辞任し、丁山がその後見人に選任されたのは、平成二年一二月一八日であるから、早くても同月一九日よりその時効期間が進行するので、本件訴え提起日(平成五年六月二日)まで、いまだ三年の期間は経過していないことは明らかである。

したがって、太郎を相続した原告の被告三津代に対する本件損害賠償請求権はいまだ時効により消滅していないということができ、被告三津代の前記主張はその余の点を判断するまでもなく理由がない。

五  争点4について

被告丙川は、太郎の後見人である被告三津代及び被告丙川の間で不起訴の黙示の合意があったとするが、本件全証拠によってもこれを認めるに足りない。

六  争点5について

1  まず、原告の主張(一)(財産目録調整前の代理権制限規定違反による無権代理)について検討するに、被告三津代が、財産目録を調製しなかったのは、前記第二、一争いのない事実等のとおりであり、被告三津代が、太郎の後見人として、被告丙川に対し、弁護士報酬として五〇〇万円を支払った際、被告三津代は財産目録を調製していなかった。

2  次に、右五〇〇万円の支払が、急迫の必要がある行為だったかどうかについて検討するに、被告丙川は、原告が太郎の所有する不動産を横領していたので、それを取り戻すために緊急処理を要するものだったのであり、急迫の必要性があった旨主張する。

しかし、前記二3で認定した事実に照らして考えれば、原告が太郎の本件各建物等の不動産を横領したと認めることはできないし、また、証拠(甲九の三、三一の一ないし八、乙一三の一ないし三、五二、被告丙川榮一本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告丙川は、昭和六〇年九月三〇日に報酬として五〇〇万円を受領してから半年近く経過した昭和六一年二月二五日に、太郎の後見人である被告三津代の原告に対する本件各建物(被告の主張によれば原告に横領された太郎の建物)についての所有権移転登記抹消登記手続請求事件の訴状を起案し、同月二七日、それを後見監督人である己田に送り、訴え提起について同意を求めていることが認められ、このことからしても、右事件が、緊急処理を要する事件であったとは到底認め難く、他に急迫の必要性があったことを認めるに足りる事情はない。

したがって、急迫の必要性があったという被告丙川の主張は採用することができない。

3  そうすると、被告三津代が、太郎の後見人として、財産目録を調製せず、かつ、急迫の必要がないにもかかわらず、被告丙川に対し、五〇〇万円の報酬を支払った行為は、無権代理行為となる(民法八五四条本文)が、これは善意の第三者に対抗することができないものである(同条ただし書)から、本件においても、被告丙川が右の点につき善意であったかどうか検討するに、証拠(被告丙川榮一本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告丙川は、松永を通じて、被告三津代に対し、財産目録を調製するように助言していたこと、被告丙川は、被告三津代が財産目録を調製していないということについて昭和六〇年までの間に松永を通じてしばしば聞いていたこと、被告丙川は、五〇〇万円を受け取る際、被告三津代に財産目録を調製したかどうか確認していないこと、被告丙川の言い分によれば、原告名義の本件各建物(被告丙川の主張によれば横領された建物)を取り戻さない限り財産目録の調製ができないというものであり、被告丙川は報酬の支払を受けた当時、本件各建物が原告名義のままであることを知っていたことが認められる。

以上の事実を総合すると、被告丙川は、五〇〇万円を受領した当時、被告三津代が財産目録を調製していなかったことを知っていたと認めることができる。

また、右2で認定した事実によると、五〇〇万円の支払について急迫の必要がなかったことについても、被告丙川は知っていたと認めることができる。

4 そうすると、被告三津代が、太郎の後見人として、被告丙川に対し、五〇〇万円の報酬を支払った行為は、財産目録が調製される前に行われたもので、急迫の必要もなかったものであり、被告丙川は、そのことについて悪意であったということができるので、右報酬支払行為は無権代理行為であり、かつ、それを被告丙川に対抗することができるというべきである。

したがって、その余の原告の主張について判断するまでもなく、被告丙川が受領した五〇〇万円は法律上の原因がなく不当利得となり、被告丙川は、悪意の受益者として、受領した五〇〇万円について利息を付して、太郎の相続人である原告に返還すべきである。

七  争点7について

被告丙川は、弁護士に対する依頼者の報酬返還請求権も、民法一七二条により、二年間の短期消滅時効にかかるので、本件における原告の被告丙川に対する不当利得返還請求権は二年間の経過で時効により消滅したと主張する。

しかし、民法一七二条において、弁護士及び公証人の職務に関する債権について、特に二年間の短期消滅時効が定められた趣旨は、弁護士及び公証人の債権については、通常、事件終了後直ちにこれを行使するのであるが、甚だしい場合には事件を着手する以前に弁済を受ける者もまれではないことから、特に時効期間を短縮したということにある。このような立法趣旨に鑑みると、民法一七二条の「弁護士及び公証人の職務に関する債権」とは、弁護士及び公証人の依頼者に対する債権に限られると解すべきであり、「弁護士及び公証人の職務に関する債権」に、依頼者の弁護士に対する不当利得返還請求権が含まれる余地はないというべきである。

したがって、本件における原告の被告丙川に対する不当利得返還請求権は、民法一六七条により、一〇年間の消滅時効にかかるということになるが、本件においては、不当利得時である昭和六〇年九月三〇日の翌日から、被告丙川に対する本件訴え提起日(平成五年六月二日)及び請求の拡張時(平成六年六月八日)まで、いまだ一〇年間は経過していないことは明らかなので、被告丙川の時効消滅の主張は採用することができない。

八  結論

以上によれば、原告の被告らに対する本訴請求は、右の限度において理由があるから、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官下田文男 裁判官川畑公美 裁判官檜山聡)

別紙一 親族関係〈省略〉

別紙二 第一物件目録〈省略〉

別紙三 第二物件目録〈省略〉

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